東京レジリエンス

言葉に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

『自分へのご褒美』という承認欲求

前回エントリから派生。

『自分へのご褒美』とは、自分自身への承認行為なのでは。

 

ということでネットで『自分へのご褒美』を検索したら、アンチがいっぱいいました。(笑)

「何かイラっとする」

「言い訳がましい」

「いちいち報告するな」

 「モノを買わせたい企業の策略に踊らされる物欲モンスター」

「ご褒美を目当てに頑張るのは芸をする動物と同じ」

というのがアンチの言い分のようです。

主張は概ね尤もです。

 

『承認欲求』はマズローという心理学者の唱えた概念で、大別すると他者による承認と自己による承認があります。

詳細は割愛しますが、

他人から認められたい、が他者承認、今の自分に満足しているかどうか、が自己承認。

他人に頑張ったことを労われるのは当然ながら、仕事なり勉強なり家事なり、自分の頑張ったことを自分で「おれ、がんばった。よくやった。」と労うにあたり、その方法はいろいろあると思われます。

おいしいものやぜいたく品の消費。ゲームで夜更かしをする。趣味に没頭する時間を持つ。

1週間真面目に一生懸命仕事して、週末に録り溜めたアニメを見るのは良いリフレッシュになるし、次の仕事のモチベーションになるし、それを『自分へのご褒美』としても差支えないのは何となく納得できません?私はできます。

 

とすると、主婦が「私も週に1日休みが欲しい」と要求してそれを配偶者が容認するのは、家事労働の対価に休みを得た、という事実によって自分の行為が承認された、という実感を得ることができるのでは。これが他者による承認なのか、自己による承認なのかはもしかして難しいし両方なのかもしれないけれど、何らかの承認行為には違いない。

 

SNSで『自分へのご褒美』をアップしてイイネを乞う、

物欲に従って買い物をしたにも関わらず自分へのご褒美とみなすのはただの言い訳なのでどちらも放っておけばいいと思いますが、

「今日は仕事頑張った、発泡酒じゃなくてビール買って帰ろう」という気持ちはとても自然な自己承認な気がするので、私は肯定的に捉えています。

自分の行為を自分が納得できる方法で肯定することは、当然なようでいて実際は難しい。

そして、自分が納得できる方法を持っている人は実はあまり多くない。おそらく。

(だから、買っても買っても満たされない買い物依存症みたいな事象が起こる。)

 

自分を肯定してあげてください。

本当にがんばったかどうかは、自分自身がわかっているはずだから。

 

 

なお、その買ったプレモルをインスタに「#1週間お疲れ様 #自分へのご褒美」みたいなハッシュタグをつけてアップする人はたぶん顰蹙を買います。

wadatomo.hateblo.jp